フィギュアスケート選手だった浅田真央さんは、どうしてここまで人気があるのでしょうか? ただ実力があるだけでは人気は出ないものです。
彼女は存在自体が物語で、その紆余曲折が濃厚な人生模様に共感する人が多いからではないでしょうか? 常に向上心を持ち、ひたむきに、がむしゃらなまでにスケートだけに打ち込む姿勢。
それとは対象的に、純真無垢な性格と色気や妖艶さに頼らない、彼女独特の妖精のような滑りと醸し出す雰囲気。誰からも愛される顔。これだけ揃っている人はそんなにいません。その全てがもって生まれた彼女の才能と人格なのでしょう。
真央さんの両親は親を早くに亡くされ、大変苦労したそうです。なので自分の子供には、好きなことを好きなだけやらせたかったと言っていました。
そうやって素敵な両親からたくさんの愛情をもらいながら、歪むことなくまっすぐに育った子なんですね。真央さんを見ていると、本当にお母様は立派に育てられたんだと思います。
彼女が笑うと周りがぱっと明るくなり、こちらも幸せな気分になります。やはり、華というのは持って生まれたものです。
ジャンプ採点過度期にもまれる
採点方式が6点満点から加点方式になったのが04年です。現在10代の選手は、どのジャンプをどのように跳べば加点が引き出されるか、意識しながら育てられました。
しかし浅田さんは採点方式が変わったときは14歳でした。年々回転不足や踏切違反が厳格になった新方式への対応が遅れることに。そこで08年のバンクーバー五輪後に佐藤コーチに師事し、スケーティングの練習を繰り返しました。
ロシアのソチオリンピックでは、ショートプログラムでのまさかの演技、フリーでの渾身の滑り。一旦は日本中が悲嘆に暮れ、そして翌日には大きな感動に包まれました。
彼女が日本国民からどれほど愛されてきたスケーターなのか、その存在の大きさを改めて知らされたソチ五輪でした。
努力の天才
彼女はとにかく努力の人だと言われています。小さい頃から天才と言われながらも、練習を怠らずに常に挑戦してきたのです。
オリンピックでは女子としては史上初の6種類、8回のトリプルを決めました。これは彼女にしか出来ない困難度のプログラムだと言われています。
普段のふんわかした可愛らしい人柄もありますが、そんな努力を惜しまずに常に上の目標を掲げ、挑戦し続ける人々が心を奪われ、応援せずにはいられなくなります。
人間誰でもミスしたり、どうやってもうまくいかないことはあるはずです。その時どうやって立ち直るのか、真央さんのスケートは人々に最後まで諦めないこと、自分を信じることを教えてくれました。
そのたびに何となく言い訳をして逃げ道を作ってしまう自分を奮い立たせ、頑張ろうと思わされる。奇跡は努力があって起きるものだと教えてくれました。
4月12日の引退会見で「思い出のある試合をひとつあげるとしたら?」の問いに対し、ソチオリンピックのフリーを挙げていました。
ロシアのタラソワコーチから贈られたブルーの衣装で試合に臨んだ「ピアノ協奏曲第2番」ですが、私もこのシ-ンが大好きです!ソチオリンピックの演技を見ると、今でも涙ぐんでしまいます。
「挑戦してみて気持ちも身体も自分の気力ももう全部出しきったので、挑戦して何も悔いはないです。スケートは自分の人生そのもの。」
2016年12月の全日本選手権を見た時、転倒した真央さんを見ていて、公式戦はこれが最後かも?と不安がよぎりましたが、的中してしまったのが悲しいです。力強い曲のリチュアルダンスは新たな大人の色気・妖艶な魅力が出てきて素敵でした。
5歳から始めたから21年間、本当にお疲れ様でした。これだけ多くの日本人の心に残り、愛されてきたスポーツ選手はなかなかいないでしょう。
今後はアイスショー「ザ・アイス」の大阪公演(7月29日~31日:大阪市中央体育館)、名古屋公演(8月4日~6日:愛知県体育館)で引退後の初滑りを披露します。